現在、鶴ケ城では往時の天守閣を
再現するため瓦の吹き替え工事
(黒瓦から幕末戊辰戦争時の赤瓦へ)
と外壁の補修が行われております。
本丸に仮設しましたテントでは、
赤瓦の記名寄付金を募集しております。
一口(瓦一枚)2000円で
改修工事に使われる赤瓦へ
直筆で名前を記入することができます。
鶴ケ城に名前を残すことが出来る
またとない機会です。
1枚の瓦に複数の名前を書くこともできます。
家族や友達との記念にもイイですよ。
また、今まで使われていた黒瓦も
1枚、500円で手に入れることができます。(募金)
千葉からお見えの常連のお客様は
1枚そのまま持って帰ったそうです。
結構、大変だったみたいです。。(^_^;)
大河ドラマ「龍馬伝」は欠かさず見ている。
とても面白い。俳優・香川照之さんは、
三菱財閥の創業者・岩崎 弥太郎を演じる。
当初、極貧の岩崎を演じたのだが、
あまりにも汚すぎて三菱から
クレームが入ったという話には、笑った。
明治の偉人に 興味が出てきた。
そこで、月刊誌『新潮45』でも連載されていて
この度、書籍化された
「陰徳を積む」銀行王・安田善次郎伝 著 北康利 を
セブンネットショッピングから 注文した。
本は近くのセブンイレブンで受け取ることができる。
手数料・送料もかからないというのが嬉しい。
みずほ銀行の発祥でもある安田銀行の
支店網と系列銀行の分布を見てみると
北海道や東北、北陸に広がっていることがわかる。
これは、創業者・安田善次郎の意向によるものだ。
銀行王として有名な善次郎は、
商売人としては、非常に厳格な人であったと言われるが、
とても慈悲深い人でもあったようです。
これらの地域は戊辰戦争で幕府側であったため
明治に入ってから社会インフラの整備が遅れた地域でもありました。
安田銀行は、余剰資金の豊富な地域から預金を吸収し、
資金不足の地域に資金を貸し出し、
後進地域の産業振興につなげようとしたのです。
素晴らしい!!感動的な話です。
ちなみに、みずほ銀行さんは、当社にも
資金を供給してくれる大切な銀行さんです。はい。
今春、七日町通りに昭和の漫画などを集めた
ミニ博物館「会津冒険堂」がオープンしました。
会津若松市出身のアニメ監督・笹川ひろしさんの
作品なども並んでおります。
会津の漆器職人であった笹川さんは
自分の書いた漫画を批評していただこうと
手塚治虫さんのところに郵送したところ
お返事をいただきました。
手塚さんは笹川さんの才能を認め
プロ作家となるべく上京をすすめたそうです。
それから手塚さんのもとでアシスタントとして
研鑽を積んで、現在の人気監督となりました。
昭和34年、手塚治虫さんを会津に
お誘いしたのは、笹川ひろしさんです。
それ以来、手塚さんは会津が
大好きになったと言われております。
昭和期の少年月刊誌「冒険少年」を一堂に集めた企画展
「冒険少年展」は8月31日まで行われております。
「冒険少年」は1948(昭和23)年1月、日本正学館から創刊。
翌49年12月には休刊となったため
「幻の少年月刊誌」といわれています。
「SF小説の父」と呼ばれた海野十三氏が執筆、
小松崎茂氏が挿絵を担当した
SF冒険小説「怪星ガン」などが連載されています。
ぜひ、お立ち寄りください。
ふくしまを楽しむ大人の情報誌
「Mon mo(モンモ)」¥780、
初めて、購入しました。
今までは、立ち読み程度だったのですが、
『はじめての尾瀬』というタイトルに惹かれました。
はるかな尾瀬、行きたいと思っていても
なぜか?行けなかった『尾瀬』
その尾瀬が急に身近に感じられるようになった。
昨年、初めて磐梯山に登りました。
今年は、既に一度登っており、
来週もう一度、登ります。
急に山に目覚めたのです。
次は、東北最高峰、尾瀬のシンボル的存在である
『燧(ヒウチ)ガ岳』だ! なんて息巻いていたけど。
これが結構、大変な山であることを知り、
とりあえず、湿原の『尾瀬』
こちらに行ってから
改めて計画を立てようと思います。
そんなわけで、まず訪れなくては
ならない『尾瀬』。
尾瀬沼まででしたら、
日帰りが十分可能だと思います。
夕食は、地元のお野菜を使って
定評のある、あそこの旅館さんに
お願いできるかどうか聞いてみよう。
富士山の場合、
気がついたら山頂に立っていた。ということはあり得ない。
登ろうと思った者しか山頂に立てない。
という話はよく聞くが、
私にとっては、『尾瀬』も同じように感じる。
近いようで遠い、遠いようで近い、
それが私の尾瀬。