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木曜日 - 5月 22th, 2008
福島、群馬、新潟の3県にまたがる
国立公園・尾瀬の山開きが、
群馬県片品村の大清水登山口で行われました。
山開きは、毎年、福島県側と群馬県側で
交代で行われております。
オカリナ奏者の宗次郎さんが
「夏の思い出」を演奏しました。
まばゆい新緑にやさしい音色が響きます。
沼山峠から大江湿原にかけては、
まだ木道を残雪が覆っており、
ミズバショウも咲き始めたばかり。
ミズバショウの見頃は、尾瀬ヶ原が5月下旬。
尾瀬沼は、6月上旬になります。
私と家内は未だ、尾瀬に行ったことがありません。
一人息子は、7月に学校行事で
山小屋に1泊してきます。うらやましい・・・・・・
そういえば、以前、毎年のように
福島空港を使った
沖縄のお客様のバスツアーがありました。
尾瀬の山小屋で1泊されて、
そのあと、会津若松に来られて
私共のホテルに1泊。
こんなツアーは素敵ですね。。。
水曜日 - 5月 21th, 2008
水曜日 - 5月 14th, 2008
私が名君と聞いてまず思い浮かべるのが、
薩摩藩の島津斉彬や備前岡山藩の池田光政、
肥後細川藩の細川重賢と言った人物ですが
名君中の名君といえば、
やはり会津松平藩・初代藩主の保科正之と
米沢藩の藩政立て直しを成功させた
上杉鷹山だと思います。
江戸時代の前期の代表が保科正之で
後期が上杉鷹山ではないでしょうか。
保科正之が、かって藩主を務めた
高遠藩ゆかりの長野県・伊那市と
当市・会津若松市、そしてお墓のある
猪苗代町が中心となって
3年後の生誕400周年に
保科正之の大河ドラマを実現しようという
NHKに強く働きかけております。
菅家市長~!頑張って~!
会津藩主・保科正之は、
徳川三代将軍家光の異母兄弟で
4代将軍家綱の補佐役として幕政を支えました。
会津においても様々な先進的な改革を施しました。
その保科正之の仁政と功績を広く知っていただくためにも
ぜひ、このテレビドラマ化は、実現してもらいたいと思います。
火曜日 - 5月 13th, 2008
磐梯山の山開きが、11日(日)に行われ、
本格的な登山シーズンの幕が開けられました。
当日、登山口付近はあいにくの雨に見舞われ
中腹からは雪の空模様でしたが
約3000人が登頂したようです。
山頂付近の「弘法清水」では、
恒例になった青空郵便局が開局しました。
3枚一組の記念はがきが無料配布され
山開き当日の記念消印も押されるとあって
登山者は喜んで投函したそうです。
霧のため360度の大パノラマを
楽しむことが出来なかったようですが
達成感と満足感に満ち足りていたものと思います。
余談です。
中町ホテルでは、見たい夢を見るための機械
「夢見工房」の無料貸し出しをしております。
ある常連のお客様は、2回続けて利用しました。
残念ながら、前日のお酒もあってか
熟睡してしまい、2回とも夢が見れなかったそうです。
先日お会いした時に、
どんな夢をご覧になりたいのですか?
とお尋ねしたところ、
以前、磐梯山の登頂に失敗したので
登頂した夢を見たかった。とおっしゃいました。
「そうでしたか・・・・・」
ぜひ、今年は、夢の世界ではなく、
リアルに磐梯山登頂を体験していただきたいと思います。
月曜日 - 5月 12th, 2008
この連休、「大内宿」はたくさんの観光客で賑わいました。
私が、ちょっとフロントのサポートで手伝っただけでも
1日に数組以上のお客様から
「大内宿」について尋ねられました。
江戸の昔、街道の重要な宿場であった大内宿。
参勤交代の大名行列や旅人が行き交う街道沿いの家屋は、
美しい茅葺き屋根や清らかな自然用水をそのままに
江戸時代の宿場町の息づかいを今に伝えております。
誰しもこの宿場に足を踏み入れると
一瞬、タイムスリップしたような、
時代劇のセットに迷い込んだ錯覚を覚えます。
ねぎを箸に食べる大内ならではの蕎麦も良いが
自然の用水で冷えたガラス瓶のラムネ、
こちらもお勧めします。
茅葺き・合掌造りの民家で
有名な岐阜県大野郡白川村の白川郷は、
世界遺産に認定されましたが
相変わらずたくさんの観光客が押し寄せているようです。
今の時代、こういったノスタルジーを感じさせる
観光が人気なんですね。
金曜日 - 5月 09th, 2008
磐梯町にあります恵日寺は、
最澄や空海と並び称された
高僧・徳一が平安時代初期に
建立した東北地方最古の寺跡と言われます。
この度、恵日寺境内に金堂が
当時のままに復元されました。
国の指定を受けた古代寺院跡で
中心的な建物が復元されるのは
全国でも初めてのこと。
現在中門の復元工事も進捗しておりますが、
こちらが第2号です。
4月25日からGWにあわせて一般公開されました。
入場には500円かかりますが
近くの恵日寺資料館の共通入場券となります。
係員の方もたくさんいて、
説明を聞きながら散策することができました。
私に説明してくださったのは、町の教育長でした。
京都の宮大工が2年もの歳月をかけて作りました。
復元費用は4億円もかかったそうです。
建物は山の傾斜に沿って建てられました。
寺院は瓦葺きの屋根が一般的ですが
発掘調査では一片の瓦も出土しません。
よって植物性の材料で葺かれていたことが推定されます。
土地柄から材料の入手を考えまして、
とち葺きであったと思われます。
柱も当時の道具を踏襲しヤリカンナで削り上げます。
柱・梁のベンガラもあでやかです。
ちなみに今後ベンガラの塗り直しはしません。
自然の風化にゆだねるそうです。
堂内の須弥壇は会津塗りの黒漆塗り仕上げ。
鏡のように光、輝いております。
ここに仏像が鎮座すると
一段と素晴らしさが増すものと思います。
ヤリカンナで削った柱の表面は
鋭いナイフで鉛筆を削ったようにすべすべしています。
現代の電気カンナや、台ガンナで削ったものは
確かにきれいなのですが、顕微鏡などでようく見ますと
表面がじゅうたんのようにけばだっています。
そのため、雨にさらされると容易に水を吸収してしまい
黒かびなどが発生しやすい。
ところが、ヤリカンナで削った柱は、
鏡の表面のようになっており水をはじきます。
そのため、柱の寿命も伸びるという話です。
木曜日 - 5月 08th, 2008
5月3日から5日まで、鶴ヶ城・鐘撞き堂にて
イベント「鐘のなる街会津」が行われました。
午後5時から30分間、鐘突き体験が開始され
たくさんの観光客が鐘の音を
城下町に響かせました。
歴史を紐解けば、
ここには時守がおり鐘を突き、
城内に時刻を知らせておりました。
戊辰の籠城戦でも鐘は打ち続けられます。
鐘の音は会津藩士を勇気づけたと言います。
そのため、西軍は時守を狙い打ちにします。
時守が倒れても次から次へと
別のものが立って鐘を鳴らし続けます。
その鐘の音は、開城の日まで鳴り続きました。
↑鐘撞き堂から北西の方角を見下ろす。
感慨深い話です。こんな話を聞くと、
あなたも鐘を突きたくなりませんか?
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