支配人、会津観光について語る!
会津若松・フジグランドホテルの支配人星野のブログ
水曜日 - 8月 29th, 2007

会津藩のDNAを考える。

NHK大河ドラマ『風林火山』を毎週見ております。
ようやく面白くなってきました。。。
ところで、会津初代藩主・保科正之公の生涯を
テーマにしたNHK大河ドラマを制作してくれないものだろうか?
そうすれば会津観光にも弾みがつくというものだが。

保科公は、徳川三代将軍家光の異母兄弟です。
7歳の時に信州高遠藩主保科正光に養子に出され、
高遠藩を継ぎます。そのあと、会津二十三万石
と徳川一門の地位が与えられ会津藩の藩祖となりました。
会津藩を隆盛に導いた名君として後世に名を残しました。

昨日、ご案内した講談社文庫・司馬遼太郎の
「王城の護衛者」より引用。

物堅さは、二代将軍秀忠の性質。
しかし、一度だけ侍女に手をつけた。
そして、すぐに妊った。
秀忠は、驚きすぐに遠ざけて市中にさがらせた。
正夫人 達子を怖れたのである。
達子、別称はお江、秀吉の側室淀君の妹である。
達子は、癇気が強く、秀忠もそれを怖れすぎた。
このため、ただ一度の浮気の相手を
市井に投げすてるように捨てた。
そこで生まれた男子が、のちの初代会津藩主保科正之なのです。
(秀忠との親子の初対面は、18年目の寛永6年。
その3年後に秀忠が死ぬ)

保科正之は、謹直な性格の男でした。
三代将軍家光の実弟であるにもかかわらず、
家光には、いっさい狎れず、よく仕えたので
家光もこの人物を愛し、臨終のとき正之ひとりを
病床によび、「宗家を頼む」といって死にました。
このときの正之の感動が、
その制定した会津の家訓になってあらわれています。
その第一条に「わが子孫たるものは、将軍に対し一途に励め。
他の大名の例を持ってわが家を考えてはならない。
もし、わしの子孫で二心をいだくようなものがおれば
それは、わしの子孫ではない。
家来達は、そのような者に服従してはならない」
という意味のことを書きます。
この時代の大名の家訓のなかで
将軍に対する忠義をこれほど烈しく説きこんだ例は他にありません。
そして、正之は家康の血統のなかでも
もっともすぐれた頭脳と政治能力を持っていました。
藩政を独特な政治学を持って整え、
藩士を教育し好学と尚武の藩風を作り上げ、
ほとんど芸術的といっていいほどの藩組織を完成し、
寛文12年62歳で死にます。
(正之は松平姓の下賜を再三辞退しており、
松平姓を名乗るのは三代正容からです)

さて、会津まつりは、9月22日から
3日間の日程で行われます。
提灯行列や日新館童子行列、会津磐梯山踊りなど
多彩なイベントが繰り広げられます。
9月23日の『会津藩公行列』は、まつりのメインイベントで
午前9時15分、鶴ヶ城本丸で
出陣式を行った後、10時30分に出陣します。
神明通りなど目抜き通りを練り歩き
午後3時頃に本丸に帰ってきます。

今年の藩公行列には、
俳優の的場浩司さんも参加します。
的場さんは新春に放映されたテレビドラマ『白虎隊』に
白虎隊士中二番隊隊長の
日向内記(ひなた・ないき)役で出演しました。
あの好演は皆様のご記憶にまだ新しいものと思います。

# by fuji | 04.その他 | GotoTop

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