月曜日 - 3月 15th, 2010
先々月、私の仲人親が亡くなった。
福島で公認会計士をされていた方だった。
教養の高い方で
毎年、元日に年始に挨拶に
お伺いすると
いつも勉強になる話をしてくださった。
言葉の語源から、事の真理を
諭してくれるところがあった。
それがとても楽しみだった。
こんなことがあった。
奥様の実家が味噌醸造業を営んでいた。
味噌醸造業が思ったよりも
大きな設備投資を必要としないものだ
という話の時に、
「手前みそ」という言葉を引き合いに出された。
「自分のうちの味噌が一番うまい」といった
「手前みそ」と言葉があるように
昔は、みそは自分の家で作っていたんだよ。
家々で作れるくらいに、設備を必要としない。
という話をしてくれた。
すごく納得がゆく説明だった。
以来、言葉の語源を知ることの面白さ、
教養とはどういうものか
少し理解できるように思えた。
言葉を語源から理解することは、
世の中のいろんな仕組みを
理解することにもなるような気がしてきた。
ちなみに「あきらめる」という言葉は
「あきらかになる」という言葉から
派生したそうです。
将来の姿が見えるからこそ
決断も出来るものなのでしょう。
昨日、たまたま本屋さんを覗いたら
こんな本を見つけた。
うちのどこかに無造作に置いておいて
暇な時にちょこっと
開いてみる本に良さそうだ。
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