支配人、会津観光について語る!
会津若松・フジグランドホテルの支配人星野のブログ
木曜日 - 8月 13th, 2009

夢を捨てない生き方

いつも私共のホテルにサービスのヒントを
授けてくれる アドバイザーの
小柳剛照先生のブログを
毎日拝読いたしております。

本日のお話もとても素敵なお話なので
ご紹介させてください。

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【夢を捨てない生き方】

福島市出身の作曲家・古関裕而は今年が生誕100年。
生涯に5000曲を作曲したといわれる大作曲家だ。
その古関裕而のモニュメントが、この度、福島駅東口に設立された。
愛用のハモンドオルガンを弾いている姿だ。

日本に住んでいる人なら、誰だって
古関メロディを必ずどこかで耳にしているはず。
『長崎の鐘』『君の名は』などは
戦後の復興期に、人々の心を支えた名曲だし
いま開催されている高校野球の大会歌、
『栄冠は君に輝く』も古関メロディだ。
ちなみに、阪神タイガースの『六甲おろし』も
読売ジャイアンツの応援歌『闘魂こめて』も
どちらも古関メロディである。

古関裕而は、福島市の呉服店の息子として生まれ
子供のときから、蓄音機で音楽に浸り
独学で、作曲の感性を身につけていく。
高校卒業後、銀行に就職するが、
あこがれていた山田耕筰に楽譜を送ったり、手紙を交換することで
山田耕筰の推薦で、コロムビア専属の作曲家として迎えられた。

普通の人なら、銀行に就職した時点で
「好きなことにも、そろそろけじめをつけよう」と思うところだろう。
でも古関さんは、まったくあきらめていなかった。
そしてついに、好きな音楽で生きる道を切り開いたものだ。
バンバンの名曲『いちご白書をもう一度』の二番の歌詞に、
「就職が決まって 髪を切ってきたとき 
もう若くないさと 君に言い訳したね」というフレーズがある。
若いときは、若いとき。
社会人になったら、もう好きなことはできない。
夢はきっぱり忘れて、これからは現実に生きる…。
それが、普通の人の割り切り方。
でも、古関裕而は、「私の人生は音楽にある」
と、就職時から、ずっと思っていたのだろう。
そして、あきらめないで、もがいた結果、
ついに一生をかける道が、目の前に開けたものだ。
もちろん、夢を捨てないでがんばったとしても
その夢がかなう確率は小さいかもしれない。
でも、「夢と現実は違う」と夢を捨ててしまった場合は、
その夢がかなう可能性は、いっきにゼロになる。


ちなみに私も、45歳のときに、公務員を“卒サラ”した人間。
夢だった商店街活性化、まちづくりの仕事を、
県庁がやらせてくれそうもなかったから、
安定した職を、自分の意志で捨てたものである。

でも、それから16年。
ささやかながら、全国からお呼びがかかり、
商店街活性化やまちづくりを仕事として、やってこれた。
県庁同期の連中は、今年が定年退職。
こちらには、定年はない。これからもずっと現役だ。


古関さんと比べるのはおこがましいけれど、
安定した仕事を捨てて自分のやりたいことに
飛び込むのは勇気がいる。
でも、夢を捨てないで、恐くてもジャンプすることが、
夢をかなえるには、やはり必要なことだったとしみじみ痛感している。



奇しくも私、45歳。
思わず、この話を自分のカミサンに
読んで聞かせました・・・

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