月曜日は秋田の師匠を会津に呼んだ。
楽しい懇親会を開くことができた。
二次会からは師匠、エロトーク全開。
でも所々にすごーくためになる話がちりばめられている。
皆さん、それをくみ取ってくれただろうか。
その師匠から夕方、FAXが届いた。
月刊誌「到知」のコピーである。
「泣けました」と書いてある。
長文だが、ぜひ紹介したい。
「縁を生かす」
その先生が五年生の担任になった時、
服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところ
ばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目にとまった。
「おおらかで友達が好きで、人にも親切。
勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
三年生では、
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
三年生の後半の記録には。
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決めつけていた子が
突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として
自分の前に立ち現われた瞬間だった。
放課後。先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をしているから、
あなたも勉強をしていかない?わからないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手を挙げた時、
先生に大きな喜びがわきおこった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は
気がつくと飛んできて
先生の胸に顔をうずめて、叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時。少年から先生に一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
とてもしあわせでした。おかげで奨学金をもらって、
医学部に進学することができます」
10年を経てまたカードがきた。
そこには、先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みがわかる医者になると記され、
こう締めくくられている。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままダメになってしまう僕を救ってくださった先生を
神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生の時に担任してくださった先生です」
そして、一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」 と一行、書き添えてあった。
月刊誌「到知」連載にご登場の鈴木秀子先生の話である。
たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出しそれを拠り所として
それから人生を生きた。ここに少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させてゆく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。