木曜日 - 10月 04th, 2007
鶴ヶ城本丸には、「月見櫓跡」がございます。
「月見櫓」について私、間違ってました。
月見櫓というくらいだから
ここから眺める月がさぞや、美しくて
そういう名前がついたんだろうと
今までそう思っておりました。
しかし、実は全然違っていて
もともと武器庫としての
二重櫓であったようです。
この櫓にかかる月影があまりにも
素晴らしいため、
この名前がつけられました。
明日の夜はいずこの 誰かながむらん
なれし御城に残す月かげ
同志社大学創設者 新島襄令夫人
山本八重 詠歌
新島襄令夫人は、会津士族の娘です。
この櫓跡の下には
滝廉太郎の名曲「荒城の月」の詩碑もある。
城下を眺めながら、
その詩を心行くまで味わってみましょう。
「荒城の月」は、この鶴ヶ城がモデルです。
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